昨日11月21日は2回目の月命日でした。早い、本当に早いものです。
どうも、コロです。
今の気持ち
一つだけ決めたこと
息子と別れて2か月。
色んなことを考え、進んできた2カ月だった。
想像していたのとは違うことがやっぱりあるのだけれど寂しいのには変わりないや。
2カ月たった今、その今の気持ちをちゃんと残しておきたいと思う。
自分でもうまく気持ちはあらわせないんだけど、一つだけ決めたことがある。
「息子をかわいそうな子にしない」ということだ。
私は初めのうちはしばらく落ち込んでいた。
そしてその時はきっとただ息子のことではなく自分のことを考え落ち込んでいたんだと思う。
自分ではそんなに落ち込んだ姿を見せていないつもりだったんだけど、出ていたみたいである日教えてくれた人がいた。
「辛さは軽々と分かってあげられないけれど、このままだとお子さんはかわいそうな子になっちゃうよ・・・」
はっとさせられました。
私が落ち込んでいたり、弱い姿ばかり見せていると、きっと周りはかわいそうねって思ってしまう。
もちろん亡くなるということは悲しいことだし、この年でという気持ちはある。
でも息子とは悲しい別れではなかったはずだ。
息子は頑張りぬいた。そうやって別れたはずだ。
それは少しずつ別れの覚悟をしていたからかもしれない。
ちゃんと皆で頑張りぬいたからかもしれない。
だから、「よく頑張ったね」っておくってあげられたんだった。
私がちゃんとしないと息子はいつまでもかわいそうな子に見られてしまう。
そう思って1カ月間、仕事も日常も頑張ってきた。
息子は・・・
医学的にみると、生まれてから何も見ることはできなかったし、声を発することもできなかった。
食事を食べることもできなかったし、歩くこともできなかった。
自分で動くこともできなかったし、音も聞こえなかった。呼吸も呼吸器がないとできなかった。
この子は幸せなんだろうか・・・
って悩んだことは何度もあった。この子の人生を奪ってしまったって罪悪感は消えなかった。
でもそんな思いを和らげてくれたのもこの子だった。
医学的にはありえないことだけど、楽しい時には何か笑ったような音が漏れてくることもあった。涙も浮かべていた。
私たちには感じていたんだ、笑っているな、楽しんでいるな、生きているなって。
必死なこともたくさんだったけど、泣きながら笑いながらそんな日々を積み重ねてきたら、自然と息子との日々は幸せなものになった。
本当に息子には助けられた。
本当にこの子といると優しいことばかりだった。不思議だった。
亡くなってからも気を使っているかのようなのにもびっくりしたけど😅
うん。
だからちゃんとおくってあげれたんだと思う。そりゃあ嫌だけど・・・
ちゃんと言ってあげられたんだ、「よく頑張ったね」って。
決してかわいそうな人生じゃなかったはずだ。
今は
ちょっと折り合いもついてきた感じ。
頑張りすぎず、落ち込みすぎず。
時には落ち込む日もあっていいさ。必死にやらにゃいかん日もあるよね。
これからは
今でも寂しいし、会いたいし、ずっと一緒にいたいし、亡くなったって認めたくないし、叶えたいことはたくさんあるんだけど。
僕たちも前に進んでいくよ。娘もいまだに「何しているのかな~一緒に歌いたいな」って息子のそばにいつもいてくれているよ。
これからは呼吸器もバギーも必要ないから、一緒にだって出掛けることができるんだ。
いっぱい楽しんで、自慢するよ。君のおかげて私たちは幸せだよって。