先日は午後から休み。12月は平日の休みは諦めていたのですが、急にできたお休み時間。
ずっと気になっていたことをしてきました。
どうも、コロです。
息子の四十九日法要も終わったので、なかなか行けていなかったところへあいさつに行ってきました。
「大変だったけど、大変なのが嬉しかったのかもしれない」私はこの言葉を忘れない。
挨拶へ行ってきた
今回は養護学校と病院へ行ってきました。
ご近所さんには休日にあいさつ出来ていたのですが、学校と病院は休日には行けず。
ちょっと諦めていた・・・というのは言い訳かな😅
本当は行きたいけど、どこか行きたくない気持ちがありました。
寂しくてね・・・
息子がいなくなったという実感もそうなんですけど、もうここに来ることはないと実感してしまうのが嫌で・・・ね。
養護学校も病院も、この挨拶が終わればそう来ることは無くなってしまいます。
あの日からどんどん失うことばかりで。
別れてばかりなのです。訪問看護も病院受診も、学校の訪問も、リハビリも、役所も。
何もかも終わってしまった。
その寂しさに少し慣れてきたところだったから、多分また寂しさが復活してしまうだろうなと怖かったのです。
それはそれでけじめとして
そうはいっても、とてもお世話になりました。
このままというわけにもいきませんからね。ケジメです。挨拶に行ってきました。
どうしてもあっさりと終ってしまい、案の定寂しさ倍増。
これでもう来ることはないんだ。苦しかった😅
久しぶりにいっぱいしゃべった
本当に久しぶりの時間だった。休日は娘が一緒に居るので、久しぶりの2人の時間。
ロマンティックな感じはないけれど、久しぶりにいっぱいしゃべった。
息子のこと、これからのこと、2人のこと、家族のこと、他愛のないこと。
もともと「いつかは思い出話で笑えるようになるといいね」って言って頑張ってきた。
そんな沢山のお話の中、妻はこう言っていた。
「本当に大変だったけど、今になって大変だったのが嬉しかったのかもしれない」
と。
どんだけ分かっていたつもりでも、本当になくすまで分からないんだよなぁ。
私はこの言葉胸に刻んでおこうと決めた。
まとめ
いっぱい関わりがあった分、無くなったときに寂しさが押し寄せてくる。
でも頑張りぬいたからこそ、その気持ちもあるんだろうなと思うようにしている。
これからも頑張らないとな。
恥ずかしい姿は見せないように・・・